馬鹿を見るのだ 3

つづき


大型スピーカーには大型スピーカーにしか出せない音楽がある。これは必定。
であるならば小型スピーカーには小型スピーカーにしか出せない音楽がある。これも必定。
XRTも4343も優れたスピーカーではあるのだが、それぞれの長所の数だけ短所がある。
ハイスペックなアイテムにはその短所を打ち消すような様々な細工がされているわけだが、
それでも、一長一短ということは適応可能な範囲にあると思う。
これを論理的に受け入れられるか否か、という点に関して信仰心にも似た何かが生まれるのだろう。


私は案外早い段階で脱却出来たクチである。なぜならばサブシステムを二つくらい持ってるので、
AにはAのBにはBに適した人材が必要だという事を理解するのに時間は掛からなかった。
パソコンの音をSQ38uで出してみたり、同じくラックスマンのL68Aと云うプリメインで出してみたり。
スピーカーはコーラルの大型ブックシェルフを使ってみたり、様々な組み合わせでセッティングを出してきた。
それに、コラム型スピーカーの自作や、4343のレストア品だってメインのリスニングルームに無理やり押し込んで
配線方式からイコライザーの選定まで、右往左往したのだ。少なくともこの段階で
「あぁ、4343は高額なアイテムだったけど、最強のスピーカーではないんだなあ」
と云うことは薄々感じている。感じてしまうのだ。


イコライザーが完成してからは更に加速した。
調整に調整を重ねたスピーカーは化ける。それが失敗したら目も当てられない音しか出ない。
私の場合は3台もイコライザーの回路があったので、背比べの如く
ヴォイシングを繰り返した。で、その中に突然インフィニティのスピーカーが現れたわけだ。


小さな箱、エントリークラスであること、そんなことに驚きはしたが、
劣化したエッジを交換し、吸音材を煮詰めてチューニングをし、ポジションを丁寧に出してやった
その音は、なんの信仰もない私には「素晴らしいねこれ」くらいのものでしかなかった。
精々云うならば、「部屋に400キロくらいの重量掛けてるのに結論がこれは不味いなあ」


くらいのものだった。重く受け止める必要はない。いい音楽が聴けたのだと
いい体験が出来たのだと思うほかない。それ以外の悔しさなどは、ちょっとだけ残して大半は切り捨てるべきものだろう。
それが音楽に対して絶対的に中立で居たいという、音楽を公平に愛したいということだと考えている。



差し当たっては、私の手元に残ったインフィニティのreferenceE-Lの調整を愉しみながら行おうかと。