性根の腐った音楽

音楽は大体のものが唯一無二な存在だと思う。だが、


性根の腐ったような音楽もあるのも事実だ。と、思えるくらいには様になってきたような気がする。



音楽はどの段階で傷むか?と言う話になると思っている。
アーティストや録音のエンジニア、企画を行った責任者など、様々な段で音楽は鈍くなる。
と言う話をロッサ氏と議論した記憶がまだ新しい。
演奏者や歌手の段階では、まだ音楽として傷物ではないと私は言いたいし、主張し続けているものの、
作曲家=歌手or演奏者の場合は純然たるモノがあるが、商業的価値を見出された楽曲、
俗に言うアニソンなどになると意味合いは変わってくる。と思う。
作詞、作曲、そして歌手の統合性がきっちりと統制が取れていれば問題は無いのだが、
そこはやはりアニソンに関しては、そういうものが取れている作品と言うのは稀だろう。
師匠はよく「魂の籠もった音楽〜」と言う台詞を聴くのだが、録音の段で音楽と言うのは"生"を受けていない場合があるのだ。
"生きていない"音楽に魂は無いだろう。その場合、ハイエンドなオーディオ機材は必要ないとすら言える。


しかしながら、オーケストラ等の古典の部類に入る音楽も、作曲家と演奏者が違うと言えなくもない。
が、音楽的解釈をするのは指揮者に一任されている為、専門的な存在が舵を切る分比較的音楽は悪くなり難い。
だからと言ってクラシックはセーフだと調子に乗ると良くない。大規模な音楽は録音が難しい分、
良くない録音が蔓延る場合がある。この場合の"良くない"と言うのは多少偏見に近い物の見方ではあるものの、
それは大勢の音楽マニアからすれば誤差の範囲であって、あまり個人的な意見を述べることこそが難しかったりする。
クラシックは比較的外れ難いジャンルの音楽だって云う認識は、恐らくあるのだから。
その点に対して大きく異論を述べたいわけではなく、「本当に巧いものがある」と言いたいだけなのだ。


また、企画を行うレーベルにだって音楽を悪くする要因はある。
規模がでかすぎると「万人受けする音楽」が求められることになり、その際に音が翳ると云う様な音楽が出来上がる。
実際、規模を小さいマニアックなレーベルの盤のほうが"曇り"の少ない場合がある比率が高い。
というかその点に限っては、大手はどれだけ手を尽くしても小規模なレーベルが自由に音楽を作ったものに勝てないような気もする。
しかしながら規模が小さいと良いと云う短絡的な話では全く無い。
寧ろ実力の乏しいエンジニアが作った盤は最悪の場合機材を破壊しかねない恐怖がついて回る。


個人的に同人音楽が好きだ、と言うのはリアルではあまり云えないことの一つだと思う。
前述した全ての良い点と悪い点が露骨に反映されるため、まぐれ当たりを探すのが非常に楽しいのだが、
それにしたって「音楽の限界を表現」されているのは皆無に近いだろうし(私は出会ったことが無い)、つまりは「はずれ」の比率が高すぎるし、
なにより軽すぎるのがこのジャンルのネックである。古参のファンからは遠すぎる位置にある。評価されにくいのだ。
が、若さと言う利点を最大限に生かして楽しむ分には誰の文句も届かないため非常に楽しめると思っている。
音楽は自分さえ良ければ先ず問題は無い。



音楽は自分さえ良ければ先ず問題は無い。
これは今までの私の音楽に対する尺度の一つではあったのだが、これは恐らく音楽を心から愛するものの発言とは少し違う気がする。
ただ表層を取って「好きだからいいじゃない」と言うのは狡いとしか言いようが無い。音楽とはそんな言い訳に使って良いものではない。
音楽とは聴かされるものではない。自分で聴くものだから自由に選択する権利がある。と言うのは間違いないだろうが、
その音楽の比率が8:2とかで質の良くない音楽の場合、純粋に音楽を好きだ、と言われても納得が行かない。
"自己完結の世界"で"他人"に納得を求めると言うのは可笑しな話で、私は個人的にそんなことを求めることは無いのだが、
一部の自己陶酔の激しい、そして更にそれを他人に理解を求める、更に悪いことに対して実力も無いくせに、
と言うそういうままならん手合いもこの世界には沢山居るのだ。
音楽に限ってそんなこともないだろうと思っていたのだけれど、若いというだけで見えてくる景色もあるわけだ。


話は逸れたが、何を言いたいかと云うと自分も一歩間違えばそういう自己陶酔の激しい手合いになりかねないのだ。
自らを律し、常に高い状態を維持するべきなのだが、少し調子を乱したりした結果、
あまり質の悪い音楽をだらだらと聴いてしまって、若干根の腐った状態にあるなぁ。と言った塩梅だ。
自己完結の世界ならそれでも良いのだが、そんな奴に4343なんか要らないですしね。そんなお金持ちではないですし。
高みを目指す音楽をやりたいなら、相応の心構えが必要なのです。と言うことをようやく"自らの言葉"で表現できるようになったわけだ。


うむ。一段くらい上がった気がする。