資質について 3

散々ネガティヴな論を唱えたところで、私には一本の宝刀があることについてちょっとだけ語ろう。
昨日の話では私に資質がないだろうという話だった。もっと端的に言うならば私には才能がない。
才能はない。音を感知するスキルが低い。だが、別の分野では微妙に面白いことが出来るだけの力がある。


スピーカー製作である。とくに、現在鋭意製作中の大型フルレンジコラムである。
これはもう謎としか言えないのだが、スピーカーを製作するスキルがあり、かつ
予算を抑えつつ面白いことを実行するだけの知識と環境がほとんど無傷で手元にあるのだ。
しかも私の脳内にしか詳細な設計図がないという、微妙にずれた方向性ではあるが、
極めて高いオリジナリティが存在する。"存在する"という点に疑いの余地がない。


これは、私の奥の手の宝刀であり、抜いたら最後の一世一代の輝きを秘めた珠玉の一振りだ。
ただオーディオ機材に金を掛ける。そんな人生。才能がないので極めることが出来ず苦しい音楽を聴くだけの人生。
その窮屈な私の30年後の私の姿を切って伏せるのがこの宝刀だ。


なぜなら、これは面白いからだ。こんなふざけたアイディアを完成させるというのは、
それは大層面白く愉快であろう。もし、音が良く肝を抜くレベルの再生ができれば、
私の人生はそれで立て直しが効くだろう。一転して最高にクレイジーイカれた音楽人生になるだろう。
ただ、金を積むだけでは手に入らない代え難い喜び。それを手に入れるための道。



そんな面白そうな道を歩まないわけがない。例え一度や二度失敗があったところで、
「俺はこんなにも奇天烈な道を歩いてきたんだぜ?」なんて語れるのであれば、
もしも立ち止まり、傍らに奇天烈が隣にあるのだとしたら、多分それは幸せってものなのだろう。



素晴らしい、幸せだろう。