金のない音楽

許容する、というのはそれだけで金が掛からないんだなあ、と今日は思った。
許容量が増えれば増えるほど、音楽は雑味が増える傾向にあるものの、
形にする人間が居れば案外とどうにかなるものか?


雑味を許さない音楽は、私以外の人間に任せよう。
たまに本気を出して、少し締めれば形は”それっぽく”なる?
いやでもそんな音楽だったら師匠なんて言うかな?
一つ言えるのは、私にはまた別の道を究める事を要求されているという事くらいか?