頭がカチ割れそう

ロッサ氏と音楽について語り合う日々が、ここ二月ほど日常風景になっているのだが、
これがなかなかどうして堪えるものがある。


互いの認識について暑苦しく語っているうちに、自分の口が、自分の頭の処理する以上の情報を吐いている
言葉にすると謎だが、要は「言ってるうちに理解してくる」と言うようなことだと思う。
認識や判断材料は備えているが、理論的に繋がることが無い物を言葉にすると、とんでもないことになってる。
凡そ若輩の身であるところの私が語ってよい事ではない。(しかし認識だけは先んじて獲とくしなければならないと思う)
それはロッサ氏にとっても強ち間違いではなく、やはりどこででも気軽に語ることは出来ない。
故に、所謂若者チームが邂逅すると、普段ではあまり出来ない議論をこぞってするわけだ。


何が言いたいかと言うと、熱い情報交換をすると脳が処理できなくなって本当に頭痛むのだ。
議論している最中はフル回転なので全く気付かないのだが、ロッサ氏が帰って暫くすると急に疲れが来る。
玄関まで彼を見送ったあと、私は再び音楽を再生するだけなので良いのだが、
彼は車を運転して帰らなければならないわけだ。大丈夫なのかな?と心配になる。



良い議論をした後は本当に身体に堪えるので、普段あまり使わない頭がカチ割れそうになるのだ・・・
それだけ真剣に向き合っているのだと思うと、少し楽しい。


追記01
もう一つ問題があることに気が付いたので追記。


そう、なにを語ったのか思い出せないくらい議論が熱くなっている点が問題だと思った。
思い出して、内容を説明することは出来ても「なぜ、そことそこが繋がったか」については
全く説明できない可能性が在るという、一体どのくらいの議論をしているのか
議事録でも取らない限り完全に思い出すのは不可能なんじゃないかと。


誰にも説明できない限り、つまり自分でも思い出せないくらいだと、無駄に近いものなのかもしれない。
だが魂で語る何かがあるんだぜ!!