音楽の闇

光差すところには影がある。陰には闇があり、この時点で既に中二的なのだが、
これから書き留めることは中二病を通り越してキチガイの話なのだ。おれはキチガイだと
電脳上に垂れ流すのもどうかと思うので、頑張って自らを律して公正な書き物にしようと思う。


と云うか音楽という文化の成り立ちや、現在の人間とのかかわりからして「何かおかしいぞ?」
くらいの感想を抱いてもおかしくないと思うのだ。で、その部分には薄暗い世界が密接に関係している、
と私は思っている。自分の音楽観を簡潔に文章にしただけなのに、マッドでサイコな破壊力があるね・・・。


いや、私は自分の考えが変なことを証明したいわけではない。例えば、
スピーカーケーブルで音が変わるのって、科学的に証明されていないらしい。という考え方を固持する手合いが居るらしい。
私は科学がなにかの役に立つとは思っていないので、特に何も感じることはないのだが、
もしかしたらこれは再生音楽の影への第一歩なのではないだろうか?
ちなみに私はケーブルへの固執が薄い。いや、欲しいものはあるんだが手に入らないのだ。それに限っては拘るが、
そうでない部分では殆ど頓着しない。場合によっては三色コードが現役な箇所があるレベルだ。これもおかしいといえばおかしい・・・


客観的に信用のおける第三者的機関が「これはないです」と言った場合、当事者である自分は
「確かにこれはないな・・・」と思うのか「第三者の評価などどうでもよい」と思うのかは個人の自由だ。
科学が何か客観的に信用がおけるか否か、と言い換えても問題は発生しないがオーディオと関係なくなるので割愛する。


一歩目がケーブルで、二歩目がインシュレーターという話になるのだ。
ここまで足を踏み入れれば、結構ディープな人種だと言える。真正直にインシュレーターを試す奴は狂人に近い。
かなり黒いグレーの位置に立っているわけだけれども、それがどの程度黒くなるかで音楽の本質と云う物が
変わってくるのだろう、と私は考えている。自分の足元が真っ白だった場合、多分その人は音楽には興味ないだろう。
どの程度黒くなるか、どの程度の黒さを許容できるか?というのが私の問いたい音楽の闇についてだ。





この業界、私のようなオカルトが苦手な人間がやっていくには些かつらいよ。
触りたくないし、目の届くところに存在することは許せないほど潔癖になのは本当に大変だ。
心底嫌いなら音楽なんて聴くなよ、と私は昔の自分に言いたいね。今ほど密接に関係しないのであれば、
一切音楽を聴かない人生っていうのもアリかなと、思わなくもない。