修理をしよう3

なんで今日に限って機材の修理なんてしているのだろうか?
答えは意外と単純なところにあった。今日、調子悪いんだおれ。
調子が悪い、と自覚した時点で末期である。頭痛肩こり眩暈など、明らかに調子の悪い箇所が芋づる式にでてくる。
予兆としては「普段あまりやらないことをする」「あまり聴かないCDを聴く」「ジンクスを破る」
などがあげられる。普段使わない機材の修理とか最たるものだよね。


肩こりと頭痛がひどい。あと耳鳴り。ドライバーとツィーターの間くらいの音が鳴りやまない。
なんかこう、どっちからも音が出てる感じがして厭な奴だ。被り気味みたいな。


なにも手がつかない状態なので、CDプレイヤーの改造について調べていた。(なんか矛盾してね?)
もちろん先駆者がいることは織り込み済みではあったのだが、実際に興味を持って調べてみると
結構手の込んだ改造を行っている人が散見される。電子的な知識の基礎すらない自分としては10%も理解できない。
で、その人たちは云うのだ「改造前より低音が伸びた」とか「改造前は落ち着いて聴けないような音だった」とか。


言いたいことは解らなくもない。改良を加えた場合(改悪だった場合も含む)音の変化というのは必ずある。
所詮は二択問題だ。やったほうがいいか、やらなかったほうがいいか、どちらかだ。
それで常に良い方を選択し続けていれば音は改善されるだろう。で、改善したところでなにをしたいの?
答えは簡単だ。音楽を楽しみたい。(因みにロッサ氏だと"感動的に"音楽を楽しみたいと云う)それだけだ。
その過程において部品の交換や回路の変更があるのならそれは有りだが、
手の込んだ改造を得意とする人ってのは、ただ単に電子部品を弄っているだけのような手合に思える。


なんとなく、機材への思い入れがなさそうである。
なんとなく、機材のセッティングが甘そうである。
なんとなく、CDの所有枚数が少なそうである。
なんとなく、音楽よりも機材のほうが好きそうである。


つまり、私とはちょっと人種が違うんじゃないかと思う。
だとしたら、込み入った改造なんてのは私には要らないのではないかと思った。
とりあえず、廉価モデルのCDプレイヤーを買ってみて、中を開いてみたい。
コンデンサーとか抵抗とか目についたやつで解りやすそうな部品を差し替える。
防磁対策とかもやってみる。こっちのほうが実戦的だと思う。
ただ性能を上げるだけじゃない。より強くなるために性能を上げるのだ。


さて、はたしてこの企画はやる価値があるのだろうか??