機材について

自分の音楽観を反映させるために必要なものは機材である。
だが、恐らく自分の音楽観は特定の機材に依るものではないと、最近は思っている。
本当に必要なのはメーカーやブランドではなくて、性能のみなのだと。
具体的に、あるいは抽象的に求めるその要求基準を満たす機材が手元にあればそれでいいのだ。


逆に言うと、どれだけ納得いかないアイテムでも、音楽が聴ければそれで多少は幸福感を感じるわけで、
納得いかないくとも可能な限りの手腕を振るう、というのも「音楽してる」と言えるわけだ。


面白いのは、満足のいく道具を所有している如何に関わらず、
「おれの鳴らしたい音楽とは、まだまだこんなもんじゃない」
という自らの再生技術に対しての納得できないという問題がある、と言うことだ。
どれだけ満足のできる性能の機材を持ったとしても、最終的には操る人間の技量が問われる。
では、機材って結局なんなのだろう?というのが今、一番気になるのだ。