頭痛の日、音の差異


今日は頭痛が酷く、ろくな活動が出来なかった一日だった。
眠たい頭で読書をしながらよく聴く盤を試聴していたが、何か違う。


頭の回転が遅くて思い出すのが億劫だったが、CDプレイヤーの修理ならその代わりと言うことで、
最早おなじみになってしまったフィリップスのLHH300の音が、なにか微妙な差異を教えてくれているようだ。


師匠が言っていた、「セッティングを煮詰めた所で機材を換えると、その分の差異が良くわかる〜」というのは
多分こんな状況での話なのだろうなーと少しだけ思った。私にはまだ早いかもしれないが。


CDプレイヤーを修理に出した日は、とても疲れていたのでよく覚えている。
違和感がとてもあって、「まあこんなものか」と疲労に負けて眠った。


翌土曜日は野球、模型の追い上げと音楽にかまけている暇が無く、また
前日の「こんなものか」と言う意識が勝って今一つ冷静ではなかった。


日曜日も大体そんな感じで過ぎていった。
この土日に強く念頭に置いたのはF120Aのエージングについてだったので4343ではあまり音楽を楽しめなかった。


そして今日である。調子の悪い一日だった。何か書き留めようとこのブログを更新しようとしては
ネガティブな内容になって結局削除すると言う無為な行動を何度かした。
買ってあった小説を斜め読みしながら音楽を聴くと言う、私の奥の手で過ごした一日だったわけだが、
やはりプレイヤーが違うというのは、スピーカーの前にちゃんと居れば「どう違うのか」と言うのが明らかになるのだろう。
勿論、以前に借りていた機材なので表層的な部分での音色は合致して認識できるが、
根本的な認識としての音と言うのが理解出来たかと思う。当然、以前と意見が食い違うようなことにはならないが、
自分を含めた誰かの意見など関係の無い、言語を並べるだけの評価などではなく、
身に浴びる音の感触、手触りのような音のニュアンスについては
「ああ、俺の脳みそでもこういう感覚を感じられるのだな」
なんて思ってしまったりするような、一言で言うと
「微妙な差異がよく聴けば微妙だけれども微妙じゃないまあ差異なんじゃない?」って感じだった。



なんていうか、アンニュイな一日だった。正直嫌いで仕方が無いが、学ぶべきものに触れると
それなりに手ごたえがある、不思議。
あと、師の言っていたセッティングを煮詰めた部屋になりつつあるのだろうか?と内心どきどきしている。
だって前回よりも敏感に感じられるのだもの。少しは前向きに捕らえてもいいよね?的な。