今日気付いたこと 2

本来自分の満足感なんてものは、他人に決めさせちゃいけないもんだ。
当人の満足度が他人に正しく観測できるわけがないのだから、それはそうだろうと私は考えている。


では、オーディオとはなにか。満足とはなにか。争点はその辺になってくる。


まず、オーディオとはなにか、という点について簡単に考えてみた。
それは、「個人の自己肯定感を刺激するためだけの物なんじゃね?」という大変危険な思想である。
この際踏み込んで考えよう。自己肯定感がなければ満足って出来ない。これが私が今日気付いたことの半分だ。
私はある背景があって自己肯定をするのが苦手な個性を持っているのだが、そういう事情は完全に音楽に反映されていることに気付いた。
簡単に言うと、自分を否定しているような音楽だったわけだ。本来人間というのは自己否定も自己肯定も必要が無いくらいの位置で自分を見下ろせばいい、
もしも人格的に否定が先行するようであれば、適度に自己を肯定するように気持ちをコントロールし、その逆なら否定を覚えて過ごせばちょうどいい。
今回は自分の思ったことなので、否定が先行した例を挙げるが、「じゃあ誰が否定したんだ?」って、そういうのは自分の背景にあるわけで、
そういうものを超越して現在を生きているわけで、「なら今の自分を否定しているのはいつの誰だ?」と言うことになる。


「なんで過去の誰とも分からんやつに馬鹿にされたことを気にして生きてきたんだ」
しかもそれが音楽に、今まさに再生されている音楽に影響があるなんて、なんてつまらないことなんだ!