電源ケーブルに答えがあるのか考えてみる

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私はケーブルが嫌いだ。あらゆるケーブルが憎くてたまらない。
が、オーディオは電気信号が主であるからして、それの(個人的な)怨嗟からは逃れることはできない。
私がどういう風にケーブルを嫌っているのかをちょっとだけ文章にしてみようと思う。


ケーブルのどこが嫌うのか、一つ取って示せと言われれば、
格があるのが嫌いだ」と即答したい。
本来、全てのものに格という物が存在する。それの例外が芸術分野である。
音楽を含む芸術は、愉しむために存在していると私は考えていて、
その楽しみの本質に格という隔たりはない、というのが考え方の根っこにある。


芸術というのは自由に極めることが出来る、大変優れた暇つぶしツールである。
それはとても楽しい。「おれは今、創作している」と感じるところまで行けたら本当に楽しいが、
「あ、君まだ〇〇のケーブル使ってんの?」とか言い出すようなが現れる。
そいつはかなり高い確率で気取っている金持ちだ、というのが私の統計論で、
それに対して「おれはこれが好きなんだ」と、淀みなく答えることが出来るようでありたいと思うのだが、
現実は厳しい。かなり厳しい。なぜなら、自分がそのケーブルを使ってみたい気持ちがゼロである可能性がゼロに近い・・・。
断言してみると、値の張るケーブルを使ってみたくならないオーディオファンは居ないのだ。



「〇〇のケーブルで頑張ってるの?××のケーブルにしたら乗り越えるのに勿体ない」
馬鹿言ってんじゃねーよ、てめーに言われるまでもなくやってみたいに決まってるだろボケが!




現在の線に不満はない。なぜなら今の音はこの線で成り立っているのだから。
だが、仮に完全な理想の線に出会ったならどうだろうか?
その理想の線で成り立たせる音楽は、いまの音楽を超えるだろうか?


はっきりって三秒でこの問題に辿り着く。これを試すには金が必要で、
金は望むと望まざるとに係わらない形で在るものだから。